「西の正倉院 みさと文学賞」に私が応募する理由

「西の正倉院 みさと文学賞」に私が応募する理由 日記
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小説好きの皆さん。
公募勢の皆さん。
宮崎県の皆さん。
古代史好きの皆さん。

「西の正倉院 みさと文学賞」って、知ってますか?

実は私、こちらの文学賞に毎年応募しておりまして、2年連続で佳作を頂戴しております。

今日の日記は、私がなぜ「みさと文学賞」に応募するのか、というお話です。

「西の正倉院 みさと文学賞」基礎知識

まずは「みさと文学賞」についてご紹介しましょう。

「西の正倉院 みさと文学賞」は、宮崎県美郷町が主催する地方文学賞です。
毎年秋ごろを〆切に、美郷町の〈物語資源〉を意識したテーマの作品を募集しています。

審査員長は、小説家の中村航先生。
特別審査員として、地域創生プロデューサーの高野誠鮮先生と、民俗学者の逵志保先生が名を連ねていらっしゃいます。
そのほか、MRT宮崎放送と一般社団法人 日本放送作家協会の皆さんが、審査員を務めてくださっています。

ちなみに第3回のオンライン授賞式にて、作品の下読みはすべて日本放送作家協会の会員の方々が行ってくださっていることが判明しました。

マスター
マスター

私はてっきり、美郷町役場の有志が下読みしてるとばかり思っていたので、とてもビックリしました。
公募の下読みは昔から謎のベールに包まれていますので、このようにオープンな賞は珍しいのではないでしょうか。

きっかけは「年齢」

さて。
私は第2回・第3回と佳作を頂戴しておりますが、実は第1回も応募していました。

そのとき送った作品は、残念ながら……と、言っていいのかどうか怪しいんですが……一次審査にもかからずに落選しています。自信作だったんですけどね。落ちた理由はわかってるんです。仕方ないんです。それは、

文字数オーバー(爆)

Wordで執筆して……フッターにあるカウンターに……スペースが含まれていないのを失念するという……

な……な……なさけない……

そんな作者の凡ミスにより落選した作品ですが、どうしても諦めきれず、翌年の第2回に改稿・改題の上で応募し見事、佳作『人ひとり』として日の目を見ることができました。

なぜ、そこまでしたのか。

それは「みさと文学賞」に応募するため、自分のなりたい自分になるため、決心して書き始め、およそ10数年ぶりに書き上げた作品だったからです。
私にとって、凡ミスで落選しパソコンの奥にしまいこんで、そのまま忘れてもかまわないほど、軽い作品ではありませんでした。

「いつか」「そのうち」「落ち着いたら」と思っているうちに時間は過ぎていきます。

さいわい私に持病はありませんが、「寿命=書ける時間」であることに変わりはありません。

はたとそれに気づき、再びキーを叩いた作品だからこそ、なんとか世に出したかったんだと思います。

賞金? 地元のアドバンテージ?

一方、応募先に「みさと文学賞」を選んだのには不埒な理由もありました。

新しい文学賞

やらしい話ですが、新設の賞なら応募数が少ないのではと思ったんです。

応募総数が少ないということは、ライバルが少ないということです。結果がほしい私にとって、入賞のチャンスも上がります。

「みさと文学賞」の存在を知ったきっかけは『公募ガイド』のWebサイトです。

今どきのオンライン受付(ここが落選に至る伏線ですね)ながら、「小説家になろう」や「エブリスタ」などの小説投稿サイトと連携しているわけでもなく、……いや、本当にいやらしいな……そんな応募する人いないんじゃないかなーと思ってました。ごめんなさい。

第3回では応募総数も3桁に達し、一県民として嬉しい限りです。本当ですよ。

賞金総額100万円

やらしい話その2。

賞金に……釣られました……

しかし、佳作を頂いて頂戴した5万円は、私にすれば「初めて小説で稼いだお金」であり、大切に大切に使わせていただきました。

ちなみに、第2回の賞金がまだちょっと、第3回の賞金はまるっと全額預金してあります。(暗証番号を健忘しただけではありません)

地元・宮崎の文学賞

やらしい話その3。

県民だから……ちょっと甘くみてもらえるかな、なんて……てへ。

実際はそんなことありませんでしたね。
むしろ県外の実力者の多いこと多いこと。
宮崎ゆかりの方もいらっしゃいますが、上位入賞者の多くは県外、はては国外在住の方々です。

県内在住の強みと言えば、

  • 取材に行きやすいこと
  • 地元テレビなどで情報を得やすいこと
  • 常日頃から地元の言葉に接していること

くらいでしょうか。

オンライン授賞式にて、高野誠鮮先生から取材の件で褒められたのは私だと勝手に思ってます。(なんてやつだ)

誰のために書くか。

あまりにやらしい話が続きました。
いいかげん、まじめな話を書きましょう。

私が「みさと文学賞」に応募するぞと決めたとき、まず考えたのは「誰が読むのか」ということでした。

今回の文学賞は、美郷町の地域振興や観光PRのために生まれたものだと思います。

一方、小説は「いつか、どこかで読む、誰かのため」のものだと私は思っています。

それは未来の自分かもしれないし、自分が死んだ後にたまたま掘り出した知らない誰かかもしれません。もちろん、同じ時代に生きている家族や友人、ネットだけでつながった顔も知らない誰か――と見せかけて、隣の部屋のお兄ちゃんかもしれません。

まあ、そんなわけで、私は考えました。

「美郷町が舞台の小説を書いて、一番読むのは誰だろうか?」と。

私が出した答えは「美郷町のひと」でした。
それも、美郷町の子どもたち。ひょっとしたら、宮崎県の子どもたち。

何しろ、自分が住んでいる町を舞台にした本です。町の図書館に、学校の図書室に置かれるでしょう。出版されたその年に読む子がいなくても、ずっとずっと、所蔵されるはずです。もしかしたら5年後、10年後、手に取る子がいないとも限りません。

小説を読むのが好きな大人の方も読むでしょう。なかには、小説なんて学生時代ぶりだ、という人もいるかもしれません。自分の住む町が、ふるさとが舞台だと差し出されて、ちょっと読んでみようかなとページをめくる人……いかにもいそうです。

そう考えたとき――半端なものは書けないな、と思いました。

応募しようとされている方への、プレッシャーになっていたら、すみません。
これは、私の中の矜持の問題なんでしょう。
宮崎人としてもそうですし、「小説家になりたい」とのたまってきた人間として、美郷町の方へ「こんなの違う」と言わせてしまうようなものは、書けないな、と。

だから『人ひとり』で禎嘉王とどん太郎をどう描くか、『Lovely Place』でLGBTという題材をどう扱うか、とても悩みました。
悩んだ結果、うまくいっているかはわかりませんが……
美郷町の皆さんに受け入れられていたらいいな、と思っています。

映画『ひまわりと子犬の7日間』

すこしここで、話がわき道に逸れます。

皆さんは『ひまわりと子犬の7日間』という映画をご存じですか?

メガホンを取ったのは、山田洋次監督の愛弟子・平松恵美子監督。本作は脚本もつとめたデビュー作となります。
そして主演は、われらが宮崎県高校演劇界の輝ける一番星・堺雅人さん!
ストーリーはというと、犬猫の保護活動をされている山下由美さんが宮崎保健所で起きた出来事をまとめた書籍『奇跡の母子犬』が原案となっています。
撮影は宮崎県宮崎市、日南市などで行われました。Wikipediaでは割愛されていますが、しっかり方言指導も入っています。そのおかげか、ふだんテレビでお見かけする綺羅星のような俳優さんたちも、見事な宮崎弁を操っていらっしゃいます。

私が「地元の人に喜ばれる小説を」と考えたとき、ひとつの理想となったのがこの作品でした。

劇場に出向き映画を観たときのことは、今でも鮮明に覚えています。

客席はめずらしく、ほぼ満席。
老いも若きもとりまぜて、みんなさながら自宅のテレビ前に集合したかのようなリラックスムード。
スクリーンに映るのは、見覚えのある景色。聞きなれた、話しなれた言葉に、くすぐったそうな、笑い声とも言えないさざめきが劇場を満たしていました。

劇場の空気が、どっと湧いた瞬間があります。

それは、でんでんさんの「か――――っ!!!!」という台詞。
他県の皆さんはピンとこないかもしれませんが、宮崎県のおじさんは、憤ったり義憤にかられたり怒ったりすると「か――――っ!!!!」というのです。(みんなじゃありませんよ)

なぜ、お客さんが笑ったか、よろこんだのかと言えば、今まで「公の場である」映画やテレビドラマでそんなシーンを見たことがなかったからではないでしょうか。

私が「みさと文学賞」に向けて書きたいものは、こうして決まりました。

自分たちの言葉で書かれた物語があるということ。

言語はアイデンティティです。

スペインにおけるカタルーニャの独立運動を見ても、独自の文化と言語が、その原動力となっています。

一方、私の学生時代を振り返れば、方言や訛りは「非公式なもの」「プライベートなもの」でした。

そりゃあ今でこそ、津軽弁のマンガや、栃木や茨城、岡山訛りで話す芸人たちが登場していますが、ほんの20年ばかり前は、方言や訛りは誰かのアイデンティティではなく、ただの「笑いの対象」でした。
訛っているだけで、笑ってもいい、笑ってもらえる、そういう雰囲気だったと思います。

ただ、大阪弁や京言葉だけは別格で……
思えばそれは、大阪府民や京都府民の自信が、他都道県民に軽々しく笑われることを遠ざけ、守っていたような気がします。

私自身はというと、子どものころ、方言や訛りは苦手でした。
それは入植者である家族の言葉が、まわりの友だちや近所の人とやや違うためでもあり、大人になってから気がついたASDっぽさの影響もあるかと思います。

しかし、一番の原因はと聞かれれば、毎日見るテレビも、学校の先生も教科書も本も、方言も訛りも出てこなかったからだと答えます。

正しいか、正しくないかで言えば、方言も訛りも正しくなかったのです。

もちろん、今はそれが誤りだとわかっています。

でも、そのことに気づいたのも、土地の言葉をそのまま文字に起こし表現しようとした先人たちの作品があったからでした。

自分にできるのは、私が立つ場所にあわせて、真似をすることだけです。

宮崎の言葉で、宮崎の話を、宮崎の人に届くように。

SNSが当たり前の時代だからこそ、紙に刷られた活字には力が宿ると思います。

私が「西の正倉院 みさと文学賞」に応募するのは、そういう理由です。

マスター
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「西の正倉院 みさと文学賞」の受賞作は、毎年作品集として出版・販売されています。
Amazonからも購入できますので、興味のある方はぜひ読んでみてください!

マスター
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「自分も何か書きたくなってきた~」という方は、ぜひ応募を!
第4回みさと文学賞が現在募集中です。
私ももっと宮崎の作品が読みたーい!

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