このエッセイは、小説家になろうでの連載作品を一部改稿のうえ転載したものです。
その点をご留意の上、お読みください。
小説を書くのが好きだ。
文章を書くのが好きだ。
本を読むのが好きだ。
本を嗅ぐのが好きだ。(古書限定)
子どものころ、小説を書けば作家になれると思っていた。
甘い話である。当時の作家だって、のたうちまわるような執筆活動の末にその地位を得ていただろうに。
今では、小説を書いて本を出しても、作家にはなれない。
昔に比べ、小説を書くというハードルは格段に低くなった。
食べるに困る人が減ったというのもあるし、パソコンやスマホが普及したという技術的な面もある。
結果、小説を書く人は増え、小説を出版する人も増え、パイは細切れになった。
何のために書くのか。
大人になって、再び小説を書くようになってから、何度も考える。
自分が本当に望んでいることは、何なのか。
作家になりたいのか。有名になりたいのか。お金がほしいのか。自由がほしいのか。誰かに読んでほしいのか。読んでもらうだけでいいのか。感想がほしいのか。評価がほしいのか。影響を与えたいのか。それとも誰に読んでもらいたいわけでもないのか。
誰に読んでほしいのか。どう読んでほしいのか。どんな形でもいいのか。どんな内容でもいいのか。報酬はほしいのか。それとも何もいらないのか。
考えても、考えても、また迷う。
10代のころは、こんなに悩んではいなかった。
「新人賞を獲る」「本を出す」「作家になる」で、完結していた。
何にも考えていなかったようでもあるし、単にそれ以外の選択肢がなかったとも言える。
何者でもない自分から、作家という自分になりたがっていた。
大人になった今は違う。
私はすでに「何者か」で、それなりの人間関係と経済基盤を持っている。
小説を書く以外にも、やりたいことや、やらなければならないことがたくさんある。
生きるために、日常は維持しなければならない。
そんな中、時間という限られたコストを使って、何のために書くのか?
私は、大人になってしまった。
それもよりによって、あれほど嫌悪していた「つまらない大人」に。
つまらない大人の私は、書く理由を探している。
世間の常識からズレていた私も、すっかり世間ずれしてしまいました。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。