テンプレートも悪くない?

「なろう」になじめない中年作者が思ったことを書くエッセイ 「なろう」になじめない中年作者が思ったことを書くエッセイ
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このエッセイは、小説家になろうでの連載作品を一部改稿のうえ転載したものです。
 その点をご留意の上、お読みください。

過去の<br>マスター
過去の
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不定期更新を宣言してから、はや三か月が経ちました。
法事やらなんやらで忙しかったと言い訳することはできます。しかしながら所詮は言い訳です。どうせ不実な足元を見られるならば、思い切り真理に近い言葉を書きとめておきましょう。

「いつでもいい」は「しなくていい」と、ほぼ同義。


さて、今回はまた喧嘩を売っているかのようなタイトルですね。

大切なことなので、もう一度書きます。
喧嘩を「売っているような」タイトルです。
……売ってません。いやちょっと待ってください感想欄で悪態をつくのはまだ早いですとりあえず本文を読みましょう。


話は、私がこの三か月間、何をしていたかという話から始まります。

ご存知の方は全くいないと思うが、私は6月25日からこちら、新しい作品をアップしていない。

書いていなかったわけではない。
カタツムリにも煽られるような遅々とした歩みながら、一応、小説を書いていた。恥ずかしいので何文字書いたかは明かさない。晒しても誰も得しない話なので、この件は脇に置いておこう。

そう、不定期更新という甘い名目に溺れながら何をしていたかという話だ。
正直こちらの方が断然ダサくて恥ずかしいかもしれない。
19か20歳のころに書いた小説を読み返していた。
それも、特別思い入れが残っているわけでもないのに、単行本1冊分も書いた長編小説である。

実をいえば、まだ読み終わっていない。
毎日読む気は起きないし(世の中には他に読むべき文章は無限にある)、さて今日は読むかと広げてみても30分もするとうんざりしてその場から移動したくなる。読めないことはない。しかし読んでいて夢中になることはないし(フィクションなんだけど)とにかく嘘くさい。

自分のことながら、よく書いたなー、と思う。こんな話……

あらすじをざっくり言えば「主人公がとあるお宝に触れたことをきっかけに過去の記憶と特殊能力に目覚め、復讐のために所在不明の他のお宝を探しに行く」という、ほらね! 面白くなさそうなうえにめんどくさそう!

しかも主要登場人物の目的が「復讐」「仇討ち」「仇討ち」って……
令和時代に生きる今の私には、この時点で無理だ。重すぎる。人間ツラいことがあってもそっちばっか見てちゃダメだよー、幸せになれないよー、と中年になった私は思ってしまうのである。

だが、この明らかに背伸びした暗くて重い設定は、大人になった今だから手放せるものかもしれない。
当時は本気でコレがかっこいいと思っていたのだ。

まあ……なんだ、厨二病みたいなもんである。
(自然治癒しか対処法がない)

その点は当時の先生(私は某各種学校に通っていた)もわかっていらっしゃったのか、何も言われなかった。
思い返してみれば、生徒が書きたいことを(たとえ厨二病に侵されていようが)尊重されていたのだろう。やろうと思ってもなかなかできることではない。私だったら絶対おせっかいをやいてしまう。

(あんた……それ……ぜったい後悔するで! やめときやめとき!)

さて。
作品を提出して、しばらくすると個人面談がある。当時のことは今でもよく覚えている。
逆に面談の記憶が強すぎて自分で書いた話の中身を忘れていたくらいだ。

曰く、主人公がどうして復讐するのか解らない。

曰く、こういう話ってよくあるよね、『ドラゴンボール』とか。

なかなかの破壊力である。
あまりのダメージで私はリライトすることを放棄した。もうやだ。しらん。忘れる。

しかし先生の講評は、いつまでたっても私の胸に刺さっていた。

ひとつめは……ひとつめも相当きつい話なのだが、とりあえずパス。
いま書きたいのは、ふたつめの講評についてだ。

「こういう話ってよくあるよね」
「『ドラゴンボール』とか」

私はそう先生に指摘されたとき「たしかに『アイテムを集めて大きな力を得る』という構図は似てるけど、違う話じゃん」と思っていた。
というか、不満に思っていた。
全然わかってないな、私のオリジナルなのに、と。

自分のことながら本当に情けない話である。
オリジナルだろうが、パクってなかろうが、よくある話はよくある話に過ぎない。
先生は類似性を指摘しただけだ。
だが私にとって、この指摘は非常に痛かった。

小説、漫画、イラスト、写真、詩……
ジャンルを問わず、創作をしている人の恐らく全ての人が、オンリーワンになりたいと願っている。
オリジナリティを持って、個性的に、自分にしか作れない、作品を見たら自分だとわかるような……そんな作品を作り出せたらと思う。だから盗作されれば自分が侵されたような気にもなるし、そこまでいかなくても不愉快になる。逆にいえば創作者にとって、盗作に意味はない。その作品は自分自身ではないのだから。

少なくとも私はそう思っていたし、今もそう思っている。

ただし……ただし、だ。
私たちが常に何某なにがしかから影響を受けていることを忘れてはならない。
何の影響も受けずに、全く新しいものを創造することは不可能だ。
どんな文章も、物語も、そこには作者の経験が紛れこんでいる。それは過去に読んだ小説かもしれないし、映画かもしれない。または実体験かもしれないし、誰かと交わした世間話の出来事かもしれない。

積み重ねられた過去の最表層で、私たちは言葉を書き連ねている。

そこに「完全なオリジナル」も「唯一無二の個性」もない。

一方、視点を外に移してみれば、世界にはすでに数えきれないほどの物語がある。
無数の物語をプールする世界から見て、全く類似点のない最新作などありえるだろうか。

「こういう話、よくあるよね」
そう言われることは、ある意味しかたのないことなのだ。

創作を進めるうえで必要なのは「開き直り」と「リスペクト」だと、今なら思える。
自分が影響を受けていることを認めて「開き直り」、過去に生み出された作品や歴史に目を通し「リスペクト」の心を持って、今、自分が書く意義のある作品を創る。

……まあ、言うは易く行うは難しなのだが。

私がおもしろいと思う小説、漫画、映画は、それを実践している気がするのだ。
だったら、やるしかない。

ところで(ここでようやく今回のタイトルにつながるのだが)なろうのテンプレ作品は、本質的にこれを実践している。
テンプレであることを「開き直り」、かつ過去のテンプレ作品にない要素を加味して、自分なりの作品を創る。

重要なのは、よくある話(テンプレ)だとわかって書いていることだ。

よくある話だとわかっているからこそ、既存作品と比較ができる。
比較検討するからこそ、他にない要素を足すこともできるし、逆に読者ウケの高い鉄板要素を足すこともできる。
あるいはテンプレの構造そのものを分析するのもいいだろう。
多くの場合、読者にとってわかりやすい小説には、わかりやすい物語の構造がある。

最悪なのは、よくある話なのに自分では独創的と思い込んでしまうことだ。
先にも書いたとおり、私は先生からの「こういう話ってよくあるよね」という指摘を受け入れられなかった。

矛盾するようだが、よくある話とオリジナルは両立できる。
よくある話でも個性は出せるし、よくある話だからといって無条件に盗作とはならない(独創的ではないけど)。
なぜならば、どれだけ外界から影響を受けていたとしても、作者というフィルターを通してできる作品は基本的にその作者にしか生み出せないものだからだ。
たとえどんなに、どこにでもよくあるような話であったとしても。

開き直ってしまえば、彼我の差が見える。
同じ要素を持つ既存作品がなぜ面白いのか、魅力的なのか。
自分の作品とどんな違いがあるのか、どこが似ているのか。

「よくある話だよね」と言われるのはつらい。

しかし「面白くない」「意味がわかんない」と言われるのは、もっとつらい。

10年以上も経って、ようやく先生の講評が腑に落ちた気がする。
理解のきっかけになったのは、今だから視界に入った「テンプレ」という文化だ。

ものすごーく遅くなったけど、気がつけてよかった。

先生、ありがとうございます。

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読み返してわかったことだが、私の小説は文句なく「面白くない」し「意味がわからない」小説だった。
が、先生から「面白くない」「意味がわからない」と言われた記憶はまったくない。

そう思われなかったはずはないと思うんだけどね……


改めまして、先生、ありがとうございました。


お久しぶりの更新(しかも長め)でしたが、最後までお読みいただき、ありがとうございます。

「読んだよ!」と教えてくれると嬉しいです。
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