「小説家になろう」という名のコミュニティ

「なろう」になじめない中年作者が思ったことを書くエッセイ 「なろう」になじめない中年作者が思ったことを書くエッセイ
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このエッセイは、小説家になろうでの連載作品を一部改稿のうえ転載したものです。
 その点をご留意の上、お読みください。

マスター<br>(2019)
マスター
(2019)

文章にまつわる私的考察をご期待の皆さま、申し訳ありません。

今回、私のあふれるパッションが大噴火しまして、さながらアリさんがゾウさんにケンカをふっかけるような野趣あふれるエッセイが出来上がってしまいました。

価値観は人それぞれ。
「なろう」の楽しみ方も、人それぞれ。

でも言いたいことは言わせていただきます。

だってあなたも~ 好きなことを~ 言って~るから~


……前書きがいつになく長くなってしまいました。

本編をどうぞ。

私がこれから書こうとしていることは、誰かを傷つける言葉である。

正確には、傷つく人もいるだろう、言葉だ。

「小説家になろう」というサイトを知った時、私は単純に同人誌のようなものかと思っていた。
二次創作のいわゆる「薄い本」のことではない。
文芸の士が各々の作品をよせて作る、古式ゆかしい同人誌である。

ネット通信環境がインフレと見なされようとしている現代。
文明の利器を利用して、いい場所ができたなぁと考えていた。

自分の作品を読んでほしい人が投稿し、在野の作品を読みたい人がアクセスする。
発信するのにコストはかからない。だから読み手も無料で読める。
サイトに投稿するから時間も場所も関係ない。だから読み手のハードルも下がる。

ついでに第三者の目線から、自分の作品を評価してもらうこともできる。
感想ももらえるかもしれない。

書き手として、特に自分の腕を磨きたい人にとっては格好の場だ。

と、思っていたのだが。
私は肝心要のことを忘れていた。

「小説家になろう」はコミュニティなのである。
そしては私は人づきあいがうまくない。というか、ベタベタと人とつきあうのが好きではない。
リアルに人と接して話を聞いたり、たわいもない話をしたりするのは好きなのだが、電話やメールなどのデジタル機器が介在すると億劫になるのだから不思議だ。

さて、「小説家になろう」がコミュニティ・サイトとはいえ、すべてのユーザーが等しくつながっているわけではない。当たり前だがコミュニティのなかに、小さなコミュニティがいくつもある。誰が中心とか、どんな共通項でつながっているとか、端から見ていてもわからない。だが、確かにそれはある。

別にそういうお付き合いが悪いとは思っていない。
好きな作品が一緒とか、萌えるポイントが一緒とか、単純にノリがあうとか、理由は各々あるだろう。
人気作家を中心にファンが集っている、という場合もある。これもまあ自然なことだ。

しかし私の気のせいか、風通しが悪い。

もっと率直に言えば、民度が低い。低い人が多い。
(言い過ぎかと思って色々考えたのだが、他の言葉が思いつかないことに愕然とする)

どうしてこんなに、キャッキャウフフとつるんでいるんだろうと思う。
どうしてこんなに、引っかかるのか。

しんねり眺めていると、どうやら相互評価でポイントアップとかが目的とかではないらしい。
感想はよく書いているようである。
活動報告を書く人も、コメントを寄せる人も多い気がする。
よくやるなぁ、熱心だなぁと思うが、では私も真似してやってみようという気にはならない。

はてな?と思いつつ自分のものを書いていたのだが、先日、あるランキングトップのエッセイを読んだ。

大変読みやすい文章で、言いたいこともよく分かる、ランキングトップも納得のエッセイである。
だが、これまたやっぱりモヤモヤする。

そこで他の人の感想を読んで、その作者さんの作品やページものぞきに行ってみた。
その方も、何がしかのコミュニティに入っていらっしゃるようである。そこでやっと気がついた。

ああ、この人たちは褒められたいんだな、と。

認められたいし、受け入れられたい。
そして同じくらいに、否定されたくないし、拒絶されたくない。

だから同じ価値観でつながったコミュニティのなかで、おたがいに褒めあい、認めあう。傷つくのが嫌だから、自分が傷つくようなことは相手にもしないし、しないように求める。

それは人として、正しいことのように思える。

しかし作者が読者に対して、1:1の評価をつけると傷つく人がいるからやめた方がいいですよ、と言うのはどうなんだろう?
ましてポイントの平均がガクッと下がるからというのは、読者には全く関係のないことではないのか。

少なくとも運営側が評価のつけ方を提示しているわけではない。どのように評価するかは、各ユーザーの手に委ねられている。
よって「1:1の評価をつけると傷つく人がいるからやめた方がいい」とは、あるコミュニティの中での価値観に過ぎない。
しかも極めて作家よりの。

上記のような、優しい価値観に共感する人は多いと思う。
残念ながら私はあまり優しくないので、作者が傷つくかもしれないから4か5をつけよう、とは思えない。
そのかわりに1の評価をつけられても、心無い人だとは思わないし、迷惑だとも思わない。
最後まで読んでくれてありがとう、と思う。

さて。

「なろう」の中のコミュニティについて少し学んだ結果、私の感想の書き方が少し変わった。
少々ネガティブな感想をもった場合、他の方の感想にまず目を通すようになった。
またその作者が他にどんな作品を書いているのか、活動報告は書いているか、要は優しいコミュニティに入っているかどうか…

望まれないアドバイスじみた感想を書いてもしかたがない。
そして1の評価をするならその理由も書きたいところだが、欠点を指摘することがタブーなら評価をする理由もないし、私はできない。

褒められたいだけの人たちは、ずっとその輪の中にいればいい。

ただ、理由があって低い評価をつけたなら、感想欄に理由を書いて、手直しできるようなものなら後日また見直して、改善されていれば評価をやりなおすのも、評価する人のモラルだと思う。

私は自分のルールで、誰かの作品に向かい合えたらそれでいい。

また誰かが、その人なりのルールで私の作品を評価してくれたら、なによりである。

マスター<br>(2019)
マスター
(2019)

マイノリティな私見を最後までお読みいただき、ありがとうございます。

まだ私のマグマが、グツグツいっておりますので、たぶんまた書きます(え?)。

文章考察も準備中です。
皆さまには、なまあたたか~い目で見守っていただければ幸いです。

マスター<br>(2023)
マスター
(2023)

こんにちは。2023年のマスター松田です。
このエッセイを書いてから4年弱の月日が経ちまして、私もだいぶ弱火になりました。
おそらく、ムーンで活躍されている作家さんたちと知り合えたことが、よかったのではないかなと。

さて今回、ざっくり読み返していて気づいたことをひとつだけ追記します。
「優しいコミュニティ」と似たような事象が、ちくま新書の『友だち地獄 ─「空気を読む」世代のサバイバル』(土井隆義)に同じような指摘が書いてありました。2008年発行の書籍ですが、これはもう時代性なのかもと思ったり。
傷つけ、傷つけられるリスクを避けるのもまた、処世術のひとつということですな。

「読んだよ!」と教えてくれると嬉しいです。
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