投稿したものを書きなおす、ということ

「なろう」になじめない中年作者が思ったことを書くエッセイ 「なろう」になじめない中年作者が思ったことを書くエッセイ
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このエッセイは、小説家になろうでの連載作品を一部改稿のうえ転載したものです。
 その点をご留意の上、お読みください。

書きあげたばかり、投稿したばかりの作品に手を入れるのは、気が進まないものだ。
まして他人からの指摘・評価を受けてとなれば、なおさらである。

あ、あくまで私の場合。

こだわっている、と言えよう。
自分の作品、表現にこだわって、守りに入ってしまう。

「こだわる」「こだわり」がポジティブな意味として使われるようになったのは、ここ10~20年くらいのことだ。
知識のない人が職人の「こだわり」(実際の職人はこだわっていたというより、必要なことをしていただけなんだろうが)に価値を見つけてスポットを当てたのがきっかけのような気がする。あくまで気がする。

本来、こだわることは進歩を妨げることなのだ。

と、まーえらそうなことを書いたが、自分もそうなんだからいいだろう。
こだわっていた自分のことは、創作の熱が冷めてからよくわかる。わかっちゃうと恥ずかしい。創作して発表して、人様の前に出したら手を放すのが作家の矜持……なのだが、うわー恥ずかしー私のばかばかばか親ばか!






==== しばらくお待ちください ====




いったん自分の意志で完成させた作品に、もう一度手を入れるには客観性が必要だ。
熱があっては、冷静な判断はできない。

2018年10月ごろに書き上げた小説を、11月末締め切りの文学賞に応募した。
年が明けて1月末か2月くらいに落選の結果が出て、せっかくだから「小説家になろう」に投稿しようと決めた。
実際に投稿したのは2019年4月1日。ただし短編小説。ほぼ反応なし。
なんでだろうと考えて、連載小説として分割して再投稿したのが5月2日~10日。

もういいかげん頭が冷えた(遅い)。

短編小説は論外。連載小説も、自分でブラウザで読むと気に食わない。
幸い「小説家になろう」は執筆するためのサービスでもある・・・・・・・・・・・・・・・。著作者が自分の意志で手を入れるのになんの問題もあるまい。

「なろう」で成り上がろう★ と考えている方々から見れば、至極無駄な手間だろう。

私もそう思う。
一度【了】とつけたなら、振り返らずに次の作品に取りかかるのが当然と考えていた。
だが10年ばかり筆を置いて、過去の自作を読み返してみた時に、猛烈に胸を熱くする描写や設定と「おいおいこりゃねぇだろ」という失策が両方入っていることに気がついた。
その作品は当時の新人賞に応募していて、一次を通過した連絡をもらったが、二次で落ちた。

書き直せばよかったのに、と思った。

自分の作品を信じるのと、自分の技術を信じるのは明確に違う。
作品を信じるということは、その底力を、自分の好きなものを信じるということだ。
技術を信じるということは、他に書きようがなかったと認めることだ。
そんなはずはない。もっともっと私は書ける。
今見えなくても、10年後には見えるかもしれない(実際見えたし)。

自分で読んで「気に食わない」と思うならそれで十分だ。
手を入れる場所は確実にある。

正直、あの話を横書きで書く意味はイマイチわかってない。
ただ何も得るはずがない、はずもないことは、中年にもなるとわかってくるのだ。

マスター
マスター

一度投稿したものに手を入れるのは、評価してくれた方やブックマークされている方に対してどうなんだろう、という疑問がありました(もちろん誤字脱字修正は除外します)。
ただ、書く過程を含めての「小説家になろう」なんだよなと思い、傍点部分のみで収めたしだいです。

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