『おとなの一歩』

短編小説『おとなの一歩』 小説
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 『ちくわのおじさん』が『おでんのおじさん』になった。

 卸し専門の練り物屋を息子に譲り、自分は屋台を引き始めたという。
 びっくりした。隠居するにしても、どうして屋台なのか。
 おじさんの答えはこうだ。

『そりゃ千紗ちさちゃん、一回見た方が早いわ』

 あの時、あいまいにでもうなずいてしまったことを、私は猛烈に後悔している。

 私は、夜の渡辺通りに来ていた。

「おおー。この子がおじさんの姪っ子?」
「あら可愛いわねぇ。誰に似たの?」
「ワタシじゃないのは確かですわ。女房の妹の娘やもん」
「あー、なるほどー。こりゃ将来安泰だね」
「はあ……」

 ため息じみた相槌あいづちを打つ。一方、私は横目で上機嫌なおじさんをうかがった。
 初めて来た屋台は、思った以上に寒かった。足下から隙間から、冬の冷気は容赦なく入り込んでくる。風をさえぎ暖簾のれんも、温かいのは真っ赤な色合いだけ。赤提灯ちょうちんだって一緒だ。
 まったく、大人はなんでわざわざ外で(しかも冬の夜!)ご飯を食べようと思うんだろう。
 早く帰りたい……私がそう思った時だ。

「へぇー、千紗ちゃんていうんだ。ねぇ、お兄さんに大根と玉子よそってよ」
「え?」

 皿をかかげていたのは、顔を真っ赤に染めた会社員のお兄さんだった。どうしよう? 振り返ると、おじさんはニッコリ笑って頷いている。
 私は渋々、湯気立つおでん鍋に向きあった。
 お玉の柄をとり、大根と玉子を探す。鍋の中はコンビニみたいな仕切りもなく、ゴボ天に丸天、しらたき、昆布、牛すじ、がんも、こんにゃくと、十数種類の具がごった煮になっていた。傷をつけないようにすくい出す。えぇと……

「はい、お待たせしました」
「はい、どーも。いやいいね。お客のあつかいが丁寧で。おじさんとは大違いだ」
「そりゃあ、育ちがいいですからね」

 ほっと息をつく。それも束の間。

「千紗ちゃん、こっちにも大根ちょうだい」
「あ、俺も厚揚げもらおうかな」
「あたしはきんちゃくねぇ」
「え、えぇ?」
「ほら、お客さん待たせたらいかんが」

 おじさんに背中を押され、一歩足が前に出る。狭い屋台に、拍手と掛け声が響き渡った。
 もう、引き受けないわけにもいかない。
 私はうろ覚えの注文を頼りに、再び具を探す。よそじゃありえないことばっかりだ。

「はい、どうぞ」

 ようやく最後のきんちゃくを見つけ、渡す。と同時、あの赤ら顔の人がまた、手を挙げた。

「千紗ちゃん、おかわりー!」
「おい山田。お前少しは味わって食えよ!」
「味わってるよ。いやぁ、千紗ちゃんのよそってくれたおでんは格別においしいなぁ」

 お猿みたいな顔で、にへらっと笑う。と、

「あ!」
「え!? あ、な、どうかしましたか?」

 何をしたのか、私? お客さんは丸い眼で私を見すえ、指まで差して、叫んだ。

「笑った!」
「……はぃ?」
「千紗ちゃん、やーっと笑った!」

 そしてまた、ほころぶようなお客さんの笑顔。
 ……そうだ。気づかなかったけど、私、さっきもこの顔につられて笑ってたんだ!

「な、な、おじさんも見ただろ?」
「はい。この子もやっと馴れたみたいですわ」
「おじさん、これで後継ぎ決定ね!」

 狭い屋台。どっと起きた笑いに、暖簾が外へ膨らんだ。吹きこむ風が、湯気を揺らす。

「よぉし、千紗ちゃん! 好きな物頼み! お兄さんがおごったげよぉ!」

 でも何でだろう? もう寒いとは思わない。

「そんな、いいですよお客さん」
「おじさんはいいから。ほら、卵はどう?」

 私はちょっと迷って、笑って言った。

「お客さん、うちの一番はちくわですよ!」

— 了 —

この作品は、2004年に別名義で発表した作品に、加筆・修正したものです。
写真提供:福岡市
アイキャッチ画像は、まるごと福岡博多の写真を使わせていただきました。感謝。

マスター
マスター

この作品を掲載するにあたって、アレコレ書いた日記があります。
興味のある方は、ぜひそちらも読んでみてください。

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