『ひまわり』

短編小説『ひまわり』 小説
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 汐風しおかぜが絡みついてきた。
 プラットホームに降り立った直後のことだ。

 反射的に細めた目で、夏の見本みたいな空を見る。
 一両限りの電車が、ゆっくりと走り去って行く。
 誰もいない駅舎を、僕は風と一緒にとおり抜けた。東京のそれとはほど遠い「駅前通り」。あたりには民家も、とおる車さえない。ただ黙々と、ゆるやかな坂を下っていく。
 たよりは遠い、かすれた記憶だけだ。

 本当は、もっと早く来るつもりだった。

 祖父が死んだのは九年前、僕が十八歳の時だ。葬儀にも出られず、ついにここまで遅くなってしまった。
 僕が祖父と過ごした時間は、ごくわずかだ。ちょうど、ひと夏。中学二年の夏休み、僕は祖父へ預けられた。
 第一印象は「カメみたいな人」だ。しわくちゃの顔には染みがあって、いつも目やにがこびりついている。
 祖父は優しくしてくれたけど、僕はいつも半分しか、言葉を聞き取ることができなかった。

 土地の人にも、なかなかなじめなかった。方言だけが原因ではない。過疎化の進む田舎特有の暮らし方自体、僕には受け入れがたかった。
 例えば、駄菓子屋のおばあさん。その人が居眠りする姿を見るたび、僕は不安になった。これでは、万引きでも強盗でもしてくれと言うようなものではないか、と。

 店は、この坂の先を曲がったところにあった。
 のぞいてみる。コンビニに、エプロンと野菜が並んでいた。
 ここから道は大きく右へとカーブする。一転して上り坂だ。

 一人暮らしの祖父を、気にかけてくれる人は多かった。
 彼女もその一人だった。
 初めて会ったのは、祖父の家に来て二日目のこと。宿題をしていたら、同い年くらいの女の子がやってきた。

「へぇ~、あんたが噂のもやしっ子ね」

 彼女は、とかく口が悪かった。くわえて男勝りで、ずけずけと何でも、包み隠さずぶつけてくる。

 僕は当時、もやしっ子という言葉を知らなかったけど、あまり誉められたことではないとはなんとなく理解できた。そして即座に、土地の人に対する認識を改めた。

 無防備なんてとんでもない。
 都会の人より、よっぽど怖い。

 でもその夏、僕はいつも彼女といた。
 理由は簡単だ。彼女が毎日、僕を誘いに来たからだ。
 前日に押しつけられた約束を僕が放っておくと、彼女は激しく怒った。「宿題をするから」と断わると、体力差にものを言わせて僕を外へ追い出した。
 他にも地元の友だちがいるだろうに。足手まといに違いない僕をわざわざつれて、海なり山なりへ行くのだ。
 そして自分の興味の対象を見つければ、後先あとさきかまわずひた走って行く。
 僕は半ば強制的な義務感で、それを追いかけなければならない。必死だった。僕は小柄で、運動も得意な方ではなかったから。
 道のずっと先、陽炎の奥で彼女が、怒った声で僕の名前を呼んでいる。僕は恥ずかしくて、いたたまれなくて、またふらつく足で前へと走り出す。

邦夫くにおー!」

 彼女は僕のことを、はじめから名前で呼んだ。
 女の子から呼び捨てにされたのは初めてで、僕はいつまでもそれが馴れなかった。
 彼女は僕にも名前で呼ぶように言ったけれど、それは無理な相談だった。考えただけで、耳まで熱くなってしまう。僕は要求されるたび、ひたすらかたくなに首を振り続けた。それから、怒って歩き出した彼女に謝った。
 僕は最後まで彼女のことを、苗字で呼んだ。近所に同じ苗字がたくさんあって、すごくややこしかったけど。

 いろんなところを走った。蝉のしぐれる山や、照り返しのまぶしいこの坂道、刻々と表情を変える波打ちぎわ……
 どんなに力いっぱい腕を振り、足を上げても、僕は走る彼女に追いつけなかった。最後の日、とうとう諦めて足を止めた。
 すると遅れて、彼女の笑い声が聞こえなくなった。
 顔を上げる。寄る波に足を濡らして、彼女が立っていた。逆光で顔の見えないその姿が、目に妬きついている。

 僕はふと、足を止めた。坂を登りきった先、色あせた民家が立っていた。祖父の家だ。
 誰も住んでいないはずだった。だが家は妙に小綺麗で……ふいに戸が開いた。飛び出すように駆けてきたのは、小さな女の子。ついで母親らしい女性が出てくる。

 彼女だった。

「おかあさん、いってきまぁす!」

 想定していたことだ。でも、なぜだか胸が痛かった。
 子どもが僕の脇を駆け抜けていく。当然、目が合った。どうせ覚えていないだろう。僕は大人になった彼女から目をそらした。直後、

「邦夫! こら! なに無視してんのよ!」

 瞬間、体中の機能が止まった気がした。彼女が歩いてくる。腰が退けた。でも、足が貼りついたように動かない。僕はどうにか息を整え、彼女の詰問きつもんにそなえた。
 けれど、目の前に立った彼女の声は、ひどく穏やかだった。

「どうしたのよ? 急に現れて」

 僕は、祖父の墓参りに来たことを話した。彼女はいまさらの訪問をちょっと怒ってみせて、うれしそうに笑った。

「にしても、久しぶりねぇ。一、二……十三年ぶり?」
「うん……そう、かな。すっかり何もかも変わっちゃったよ」
「そう? 特に何も変わってないと思うけど……」

 彼女が能天気にそう答える。
 そのさまにちょっとイラッとして、僕はガラにもなく言い返した。

「変わったよ。ずっとここにいる君にはわからないだろうけど」
「ここが変わったってこと? そりゃコンビニはできたけど」
「そうじゃなくて」

 話しながら、照りつける暑さに、頭がぼうっと煮えてくる。

「……変わったのは僕と、僕のまわりだよ」

 彼女が首をかしげた。

「……まあ、そんだけでかくなれば、見える景色も違うよね」
「いや、そうでもなくて……」

 僕はゆっくりと話しはじめた。

 あの夏、僕の両親は、離婚調停を起こしていた。親権をどちらが持つかも争点の一つで、決着をつける間、周囲に親族のいない父方の祖父の家に預けられたのだ。
 結局のところ、僕は母親と暮らすことになり、父方とは絶縁状態になった。祖父の葬儀も、母は出したがらなかった。それに当時、僕たちはベルリンにいた。母が仕事先で知り合ったドイツ人技師の義父と再婚したからだ。

 僕は、あの夏の僕とは違う人間だった。苗字が変わり、住む国も変わった。とっさの反応だってドイツ語だ。

「だから、変わったって?」
「君だって変わった。結婚したんだろ?」
「うん。もう別れたけどね」
「…………」

 彼女は笑っていた。僕は瞬きし、顔をそらした。

「ほんと、変わってないね」

 それは「成長してないね」と同義語に聞こえた。浦島太郎状態の僕への嫌味なのか。

「ねぇ、邦夫」

 呼ばれた。あのころのまま。答えなかった。

「? 外国人からはクニオって呼ばれるんでしょう?」

 のぞき込む顔に、渋々うなずきだけ返す。

「じゃ、女の人は?」
「……一緒」
「ん?」

 口元を引き結び、彼女が笑う。オレンジ色の唇。
 思い出していた。あの夏の最後の日、振り返った彼女と約束したのだ。いつかでいいから、必ず、と。
 唾を飲み込み、顔を上げた。かどの取れた目を見つめる。

「……ただいま、真奈まな

 変わらないものが一つだけあった。

「おかえり、邦夫」

— 了 —

この作品は、2004年に同人誌『夏奏』に別名義で掲載したものを、改稿したものです。
アイキャッチ画像は、『ぱくたそ』さんの写真を使わせていただきました。感謝。

マスター
マスター

この作品を改稿・掲載するにあたって、アレコレ書いた日記があります。
興味のある方は、ぜひそちらも読んでみてください。

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